「ふたりのねこ持ち」    江川紹子(ジャーナリスト)

 今から20年前の11月、長崎県の雲仙普賢岳が200年の眠りから覚め、噴火ののろしを上げました。それから2年半後、この噴火災害を継続取材していた私は、猫のタレと運命的な出会いを経験します。

 大雨によって火山灰や噴石が一気に押し流される土石流が発生。島原半島の交通は寸断されました。雨が止み、土石流が収まってから、私は現場に向かいました。

 土石流の本流が通った所は、大きな家屋も跡形もありません。すさまじい破壊力です。本流から外れた所も、家の中に大量の泥が流れ込み、多大な被害をもたらしていました。近くの畑に、ビニールハウスがいくつか立っていました。ハウスによって程度の差はありましたが、やはり泥が流れ込んでいます。

 被害を見て回っている時、ハウスの一つから、「みぃみぃ」と声が聞こえました。のぞき込むと、奥に白い子猫がいました。  「おいで」――声をかけると、猫はトコトコと、小走りにやってきました。泥で汚れていますが、毛はふわふわ。私がつけていたウエストポーチにちょうど乗る大きさでした。なので、猫をポーチに載せたまま、私はその日の取材を続けました。

 実は、私が猫を抱いたのは、この時が初めて。猫が苦手な両親のもとに生まれたので、子どもの頃は猫とはまったく無縁の生活。独り立ちしてからも、猫との接点はまるでなく、ましてや猫と一緒に暮らす日が来るなんて、想像したこともありませんでした。この子猫も、現地滞在中に引き取り手を探すつもりでした。それまでの間、初めて経験する、ふわふわと柔らかい感触を楽しもうと、毎日猫連れで被災地を回っていました。

 ある日の夕方、私は雲仙の山々の向こうに住む人を訪ねて、話を伺うことになっていました。本当は、海沿いの国道を通っていきたいところですが、土石流被害のために通行禁止になっています。仕方なく、レンタカーを運転して山道を走ることになりました。

 ところが、山が深くなるにつれ、どんどん霧が濃くなっていきます。そのうち、1メートル先もよく見えなくなりました。まるで包丁で切れそうなくらい、みっちり濃密な霧です。激しいクネクネ道で、対向車もすれ違う寸前にぼんやりとした灯りでやっと存在が確認できるほどでした。初めての道なので、勝手も分かりません。ガードレールにぶつかるのではないか、あるいはガードレールが切れているところから転落するのではないかと不安でした。かといって、止まれば後ろから来た車に追突され、事故を招きそう。かといって、助けを呼ぶわけにもいきません。

 まさに「進退これきわまる」という時、ふと腿のあたりが温かいのに気づきました。私は必死でハンドルを握っているのに、子猫は膝の上ですやすやと寝ていて、その体温がじんわりと伝わってきたのでした。

「猫って温かいんだな」

 この温もりに、ガチガチに緊張した私の心と体がほぐされていきました。不思議な連帯感が生まれ、私に身を委ねているこの子を守らなければ、という気持ちも湧いてきました。

 無事、目的地に着き、取材は終了。帰る頃には、霧は晴れ、私の中で子猫は完全に「うちの子」になっていました。

 このタレと一緒に暮らすようになって半年後、縁あって茶トラ猫のチビが加わり、独り身の私は、いきなりふたりの「(ね)こ持ち」になりました。

 仕事から帰ってきても、猫がいると、部屋の空気が以前とは違います。なんとなく温かく、柔らかいのです。猫たちと一緒に暮らすようになって、どれほどこの温もりに癒されたり、慰められたりしたことか……。

 そして今、ふたりは16歳と17歳の後期高齢猫=B体の筋肉が落ち、ほとんど一日中寝て暮らす日々です。これからは、私がこの子たちを温めてあげたい、と思っています。



江川紹子(えがわ・しょうこ) ジャーナリスト。1958(昭和33)年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。82年、神奈川新聞社入社、87年、同社を退社、以後フリー。著書に『学校を変えよう!』(NHK出版)、『救世主の野望―オウム真理教を追って』(教育史料出版会)、『坂本弁護士一家拉致・殺害事件』(文藝春秋社)、『イラクからの報告』(小学館)、翻訳に『カブールの本屋』(イースト・プレス)、連載に、『江川紹子の視界良好』(熊本日日新聞)、『猫に仕える日々』(ねこのきもち)、出演番組に『やじうまプラス』(テレビ朝日)、『吉田照美 ソコダイジナトコ』(文化放送)などほか多数。95年、菊地寛賞受賞。