「ネコババとぼくの猫」 やなせたかし(漫画家)
ぼくの仕事机の上に中国製の金色の鳥のかたちをしたハサミがある。その長いクチバシのところがハサミの刃になっている。
このハサミを使うたびに胸がほろにがい哀しみにおそわれる。今は亡い尊敬する友人の漫画家馬場のぼる氏から中国旅行のおみやげにいただいた。
馬場のぼる氏は知るひとぞ知る猫を描かせれば天下一品、「11ぴきのねこシリーズ」があり、この名作は何度も授賞し、イタリアのボローニャの絵本展でも入賞して世界的にファンが多い。
馬場のぼる氏の描く猫は決してペルシャ猫のようなスレンダーなスタイルではない。
しっぽがたっぷりふとくて、丸顔である。表情は千変万化、時には洋服も着る。和服も時に応じて着る。それでもなんの違和感もなく、まさに猫なのだ。
猫を描く名人なので、我々の仲間はネコババと呼んでいた。
しかしネコババの猫は、実は現実の猫と比較してみるとまるでちがう。写実ではなくて馬場のぼる氏が創作したバーチャルランドの猫なのだ。それなりのスピリットの部分で、真実に命中しているので、猫が生きて動いている。
「漫画家の絵本の会」で、この稀有の天才といっしょに仕事して、展覧会したり、旅行したりしているうちに、一見飄々として現代の仙人みたいな面白い漫画家の並外れた実力にぼくはすっかり敬服してしまった。
イキでダンディでオシャレである。
世間の漫画の風潮は劇画的なやたらに細密に描きこんだ写実タッチの絵が主流になった。実は洗練されていない、大衆の好みといえばそれまでだが、空白の面白さ、シンプル イズ ベスト には逆行している。
ぼくは馬場のぼる氏に言った。
「ババちゃんはいいなあ、なんの苦もなくいい絵が描ける」
馬場のぼる氏の顔に一瞬だが陰のようなものが通りすぎて消えた。
「いやあ、実は苦労してますよ」
この言葉が嘘でなかったのは馬場のぼる氏の没後、残されたおびただしい数の習作スケッチブックを拝見してやっと解った。
ネコババは一日にしてならず、見えないところで血のでるような努力を続けていたのだ。
ぼくは本当に恥ずかしかった。
ぼくも猫の絵を描くことはある。「ニャンダーかめん」というアニメでは三年間、多数の猫キャラを創作した。
でもいまひとつ、微妙なところで、真実の中心に命中しなかった。
天才と凡才の差でしかたがないが、やはり努力と勉強も猫に対する理解も不足していたのだ。
ぼくは猫を買ったことも、もらったこともない。一番最初の猫はカミさんと結婚して戦後間もない焼野原の東京中目黒の崩れかけたボロアパートの二階で世帯をもった時、いつのまにか勝手にふとったオス猫が入りこんできて同居してしまった。
どうもこのあたりの野良猫のボスだったらしくて、せまい我家に大勢の猫がよってきて集会をはじめたのには閉口した。ボロだったが南向きで陽あたりだけはめっぽう良くて、冬ででもポカポカあたたかかったせいかもしれない。大変ふしぎなことにたそがれ迫る頃になるとボス以外の猫はみんなどこかへ行ってしまう。なぜなんでしょうね。今でもわかりません。
新宿に移ってからカミさんがひろってきたシロという猫を飼っていた。この猫もふしぎでね。時々ふっといなくなる。かと思うとそしらぬ顔で帰ってきて、ニャーなんて甘えてくる。
もう猫も犬も飼うことはないでしょうね。
ぼくは九十一歳になり老い先みじかくて、とも面倒がみきれないから。
やなせたかし(やなせ・たかし) 漫画家。1919(大正8)年、高知県生まれ。東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部)卒業。73年、月刊絵本「キンダーおはなし絵本」に「アンパンマン」掲載以降、人気シリーズとなり、88年から日本テレビ系にてアニメ化。主な絵本作品に『やさしいライオン』『アンパンマンぼうけんシリーズ』(いずれもフレーベル館)、やなせたかし全詩集『てのひらを太陽に』(北溟社)。日本漫画家協会理事長。07年4月、横浜市に「横浜アンパンマンこどもミュージアム」オープン。
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