「今は猫がいません」    内田春菊(漫画家・作家・女優)



 最近ずいぶん猫を飼っていない。最後の猫が居た家からは、私の方が出てきてしまった。あれから10年。どうしているかなあ。しかし、その猫がやってきてからは17年……もう、生きていないかもしれない。

 今までに何匹猫を飼っただろう。道で出逢って連れ帰ったけど、すぐに死んでしまったり、かと思うとやたらと増えて慌てたり、なのにいつのまにかいなくなったり…。猫は道に迷って帰って来れなくなることが多いというのを知ったのはいつだったかしら。交通事故にもよく遇うらしい。危険を察すると犬は留まるが、猫は走り抜けようとしてしまうのだそうだ。そこは、留まるように進化して欲しい…。

 最後の猫の名前はモリナガ。額にMの模様があったのだ。私の最初の子どもが生まれて五ヶ月ごろだったか、当時の同居人が紐でくくった細長い箱を、「マンガに出てくる酔っ払いのおみやげ」みたいに下げて帰ってきたのです。

「バーゲンだったんだよ」

 で、五千円だったと言う。

 その細長い箱からそっと這い出てきた猫は、額のMのほかに、縞模様の立派なしっぽを持っていた。

 私の赤ん坊は猫と格闘し、猫語を覚えながら大きくなり、無事人の言葉も覚えて高校三年生になった。

 モリナガは私の仕事机のイスの背に、よく鳥のように止まっていた。私は何も世話してないのに、私のそばにばかりいる猫だった。



 猫のお産に立ち会ったこともある。箱を用意する以外は何も手伝わなかったが、その猫はお産が始まってもなかなか箱に入らず、私がくるまっている毛布の中で最初の二匹を産んでしまった。

 あわてて拾い上げて三匹を箱に入れてやると、続けて二匹を産んだ。犬のように口を開けて大きく息をして産むこと、一匹一匹にぶどうのゼリーのような胎盤がついていること、それを綺麗に母親が舐め取ること、子猫の目は目やにのようなものでくっついていて、少しずつはがれて開くこと…。全てが新鮮な驚きだった。

 私が子どもを持てた理由の中に、あの猫のお産と育児に立ち会ったことが大きく位置していると思う。



 猫がそこに丸くなっているのをたまに見るだけで、なんとなく気持ちがやすらぐ。目を細くして、陽だまりにいる猫、とんでもない格好で仰向けに寝る猫、どんな猫でも、そこにそうしていてくれるだけで嬉しい。



 犬も飼ってはいたのだが、あの、毎日の散歩が私には大変。喜びの表現が激しいのも気恥ずかしい。猫のように勝手にしていてくれる方が私は楽。



 子どもの友だちが来ても、私は猫方式。「飲み物はここから勝手に出して飲んでね」と放っておくので、いつのまにか縁側の窓から遊びに来ている。そういうのが楽。



 今は家に四人も子どもがいて、動物まで飼うことは避けているが、私も50になったので、これから子どもが家を離れたり、仕事が少なくなったなら、さて、猫を飼うのでしょうか。それとも旅行の多い暮らしなどを選び、何も飼わないのでしょうか。



 しかしそれは、予想しない方が楽しい。人との出会いと同じように、猫との出会いも突然やってくる。やってきたらまた私はうろたえ、生活を仕切りなおし、そしてそれに慣れていくのだろう。




内田春菊(うちだ・しゅんぎく)
1959〈昭和34)年、長崎県生まれ。84年四コマ漫画で漫画家デビュー。87年、女優となり数多くのテレビドラマに出演。93年より小説家としても活動。漫画では「水物語」(光文社)、「HOME」(ぶんか社)、小説だと「あたしのこと憶えてる?」(中央公論社)などに猫が登場する。08年には舞台「黒猫」に出演し、猫を次々殺されて怒り狂う大家役を熱演。歴代の猫の名前で憶えているのは、ヘチャ、ごはん、井の頭、メイビー、まる、くる。ちなみに雑種しか飼った経験なし。