「いとおしい猫」  加藤一二三(将棋棋士)


 ずっと以前、白色のきれいな猫との出会いがあった。私達家族が外 出先から帰ってくると、よく走り寄ってむかえてくれた。外で暮らしてい た猫だが、存在感があって、道行く多くの人に好意を持たれていた。子供達や、病気で通院中の人に喜びとなぐさめを与えているのを何度も見た。よくあることだが、この白色の猫は、かわいそうに時々いじめにあった。私達はその度に、ひどい状態を助けていた。もしいじめがなければ、長く生きておられたのにと残念でならない。

 ある日の夜おそく、雨戸をたたく音がする。開けて見ると、庭に顔見知りの二匹の猫がいた。ちょっと姿を見せなくなっていた猫が、おなかをすかして帰ってきたので、友達の猫が連れてきたのだった。すぐに食べ物を与えたが、猫の友情にはじめて接して感動した。私は猫が好きだが、感心していとおしく思う気持ちが強い。

 またある時、飼っていたうさぎが庭に飛び出した。必死に後を追ったがつかまらない。すると顔見知りの猫が通せんぼをして、うさぎが外に出るのを防いでくれた。猫の友情に助けられた。普通の事ではないので、大変ありがたく思っている。

 ローマ法王ベネディクト十六世は、バチカンで猫を一匹飼っておられる。この法王と猫の物語の絵本が、ヨーロッパでベストセラーになっている。私も読んだが、長く飼っておられる猫で、法王は、猫は友達で、私の人生を知っている。私は猫の事を語る事が出来る、と言っておられる。

 法王の近著『ナザレのイエス』を愛読している。キリスト教の話をする時に非常に役立っている。旧約聖書のはじめ、創世記には、神様が、動物も造られてよしとされた。そして人に世話をしなさいと言われたと書かれている。猫という生き物に接していると、おだやかで姿形もバランスよく美しいと思う。

 四十歳の頃、猫が死んだらどうなるのかと、ある人に聞かれて答えられなかった。今なら答えられる。旧約聖書のコヘレトの書には、死んだ後、動物のたましいが下に行き、人間のたましいが上に行くと、誰に言えようと、教えられている。またつい最近、詩編に「神はけものも救われる」とあるのを読んだ。動物にたましいがあると理解出来れば、犬や猫等を見る目も、少し違ってくるのではないかと考えられる。

 私はイスラエルをはじめとして、キリスト教の巡礼旅行を度々してきた。

 三年前ヴェネツィアで訪れた教会で、ティントレットの名画『最後の晩 餐』を観た。晩餐の食事の用意をするために立ち働いている人達のそばに、一匹の猫が描かれていた。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は食卓と主要人物だけを描いているが、猫のいるティントレットの表現は興味深いものがあった。

 以前ローマに行った時、夜おそく到着したホテルのロビーでは、黒猫が私達一行を出迎えてくれた。そして翌朝出発する時には同じ猫が玄関先で見送ってくれた。大事なお客様ということで、この猫はいつもそうしているのかも知れない。

 五年前にイスタンブールに行った時には、アヤソフィア博物館の入り口に猫のための飲み水とごはんが置かれているのに関心した。また遺跡では、観光客を虫から守るため番をしている猫もいた。

 同じトルコのアダナで有名ホテルに泊まった時には、猫のためのきれいな小屋が3つ用意されていた。これなら冬の寒さもまず安心である。

 私達と教会の人がトルコを訪れたのは、聖パウロの足跡を辿る旅であった。パウロの宣教の有り様は聖書の使途行録に書かれていて、私達は心を込めてその足跡を巡礼した。

 その中でケンクレアの港に行った時、ここはパウロが特別の誓願を立てた重要な地だが、とても景観が素晴らしかった。この地でミサのあとレストランで食事になった時、数匹の猫達がいたので、私達は出された魚をちょっと猫達に食べさせた。この猫達は素朴な感じがした。

 私は猫を世話したり接することによって、人と動物の共生の大切さを実感しているところである。  


加藤一二三(かとう・ひふみ)
将棋棋士・九段。1940(昭和15年)年、福岡県生まれ。早稲田大学中退。54年に史上最年少で史上初の中学生プロ棋士となり、名人、十段、王将、王位、棋王等、数々のタイトルを獲得。50年代より、2000年代まで、各年代で順位戦最高峰A級に在籍した唯一の棋士。通算対局数、通算敗戦数は歴代1位、現在も更新中。11年に史上3人目の1300勝を達成。70年に洗礼を受け、86年に聖シルベストロ教皇騎士団勲章受章。00年に紫綬褒章受章。著書に『加藤の振り飛車破り決定版』(日本将棋連盟)、『一二三の玉手箱』(毎日コミュニケーションズ)、『老いと勝負と信仰と』(ワニブックス)等がある。